東京地方裁判所 昭和45年(ワ)6386号 判決 1972年8月08日
原告 大島土正 外一名
被告 練馬区
主文
原告らの請求は、いずれも棄却する。
訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
原告ら訴訟代理人は、
一 被告は、原告両名に対し、それぞれ金六九五万四二二七円及びこれに対する昭和四五年七月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
との判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因を次のように述べた。
一 原告両名は、亡大島吉洋(昭和三二年三月三一日生。以下「吉洋」という。)の実父母であり、吉洋は原告両名の間に出生した六名の子のうちの第六子(四男)である。
二(一) 吉洋は、昭和四三年七月当時東京都練馬区立大泉東小学校に五年生として在学中であつたところ、同年七月二七日から千葉県安房郡富山町久枝海岸(通称岩井海岸。以下「岩井海岸」という。)で開催された同小学校の臨海学校(以下「本件臨海学校」という。)に参加し、同月二九日午前一一時過ぎ頃、その遊泳訓練中に溺水死した。(以下「本件水死事故」という。)
(二) 臨海学校は、都市における学校教育計画の一環として行われている実情にあり、東京都又は東京都下の各区の教育委員会は臨海学校について各学校を指導し助言を与えるなどしている。そして、本件臨海学校は、練馬区教育委員会と、練馬区立各小学校長の代表者により構成される「代表校長会」との共催により行なわれたものであつて、被告の被用者たる大泉東小学校教諭らの引率のもとに、同校の五年生一八六名がこれに参加した。
三(一) 本件水死事故発生当時、岩井海岸には台風第四号の影響でなお相当の波が残り、小学校五年生を遊泳させるには危険が予想されたのであるから、右引率して本件臨海学校の運営に携わつた教職員ら(以下「引率教職員ら」という。)は、遊泳実施にあたつて、危険の発生を防止すべく特段の注意をする義務があり、具体的には、児童らを監視して万一児童らに事故が起きてもこれを直ちに発見し救助しうるだけの十分な人員を配置し、又、配置された引率教職員らは、遊泳中の一人一人の児童の挙動を終始監視し把握する注意義務があつたのに、これを怠り、同日午前一一時五分頃、監視するに十分な人員を配置しないまま児童らを遊泳させ、かつ、吉洋ら児童一人一人の挙動を終始監視しなかつたため、右日時頃吉洋が溺れたのを直ちに発見できず、遊泳訓練終了により児童らが離水した後これを発見し治療等の処置をしたが手遅れとなつたもので、本件水死事故は、引率教職員らの右過失によつて発生したものである。
(二) 前記のように、本件臨海学校は、被告が民法第七一五条第一項に規定する「事業」として行なつたものであり、本件水死事故は、その執行中に、被告の被用者たる引率教職員らの右過失によつて生じた事故であるから、被告は、同条の規定に基き、後記右事故により吉洋及び原告両名が蒙つた損害を賠償する責任がある。
四(一) 吉洋は、将来一八才から六三才まで四五年間就労が可能であつて、その間年額金六三万五一〇〇円の収入を得べかりしところ、このうち収入の三分の一を同人の生活費として控除すると得べかりし利益は年額金四二万三四〇〇円となり、ホフマン方式により年五分の中間利息を控除してこれを現在の価格に換算すると金八二〇万八四五五円となり、吉洋は本件水死事故により右得べかりし利益を失い、これと同額の損害を蒙つた。
(二) 原告両名は、吉洋の被告に対する右損害賠償請求権を各二分の一の割合で相続した。
(三)1 原告両名は、本件水死事故により、吉洋の墓石費用として各金一五万円の支出を余儀なくされ、
2 又、末子として一〇年余にわたつて育ててきた吉洋を突然失ない、加えて原告大島さたは本件水死事故当時湿疹により入院中であつたが吉洋の死亡により精神的打撃を受け病状を悪化させた。又、被告は、本件水死事故の責任についての交渉に際し、原告らに対し誠意ある応待をしようとしなかつた。右による原告両名の精神的損害は各金二〇〇万円と見積るのを相当とする。
3 さらに、原告両名は、被告が原告両名に対し本件水死事故に基く損害賠償を任意にしないので、昭和四五年六月頃、弁護士菊池紘及び同小林幹治に本件訴訟の提起と追行を依頼せざるをなえくなり、その際、右両名との間で、その報酬を原告一名につき金七〇万円(原告両名合わせて金一四〇万円)と約した。
五 よつて、原告両名は被告に対し、吉洋の右損害額の各二分の一に相当する各金四一〇万四二二七円と原告両名の右各損害額との合計である各金六九五万四二二七円及びこれに対する損害発生の日の後である昭和四五年七月二一日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
被告指定代理人は、主文と同旨の判決を求め、
請求原因第一項及び第二項の事実については認める。
請求原因第三項(一)のうち、大泉東小学校教諭らが本件臨海学校の運営に携わり、原告ら主張の頃同校の児童らを遊泳させたこと及び児童らの離水後に吉洋を発見し、同人に対する治療等の処置をしたが手遅れとなつたことは認めるが、その余は否認する。本件水死事故の頃、岩井海岸では波はおさまつており、当日午前一一時五分から同一五分までの第三回目の遊泳実施にあたつても、引率教職員らは、泳力に応じて児童らを組分けし、砂浜から約一五メートル沖の水深約八〇センチメートルのAゾーンに泳力二五メートル以上の児童六四名を、砂浜に最も近い水深約四〇センチメートルのCゾーンに泳力五メートル以下の児童三六名を、その中間の水深約六〇センチメートルのBゾーンに吉洋を含む泳力五ないし一〇メートルの児童八六名を配置し、監視等のため、各ゾーンにつき、沖側にそれぞれ引率教職員ら四名を配置したほか、全ゾーンを移動する者一名及び砂浜に待機する者二名を配置していたから、監視するに十分な人員を配置しないまま児童らを遊泳させたとはいえないし、遊泳中の児童らの挙動は、外観から直ちに判断できず、その一人一人の挙動を終始把握することは不可能であるが、引率教職員らとしては、十分児童らを監視した。
又、引率教職員らは、児童らの離水状況を早期に確認できるよう、児童らに対し、離水後直ちに所定の場所にある各自の名札を取り、予め定められた二人一組の児童が相互に確認しなければ集合場所に座つてはならない旨指示していたところ、右遊泳の終了した同日午前一一時一五分頃、児童らの離水後直ちに右確認手段により吉洋がいないことを発見しえたものである。
以上のような万全の対策をとつた以上、引率教職員らには、本件水死事故の発生について過失はない。
請求原因第三項(二)のうち、被告が本件臨海学校を民法第七一五条第一項に規定する「事業」として行なつたとの点は争わないが、その余の点については争う。
請求原因第四項(一)の事実については知らない。但し、収入の二分の一を生活費として控除するのが相当である。同(二)については、原告両名が吉洋の相続人でありその相続分が各二分の一の割合であることは認める。同(三)の1については、知らない。同(三)の2のうち、被告が原告らに対し誠意ある応待をしようとしなかつたとの点については否認し、その余は知らない。同(三)の3については知らない。
請求原因第五項については争う。
と述べ、抗弁として、
吉洋は、本件水死事故発生につき、その直前、遊泳中に沖側のAゾーンに行こうとしたり、溺れようとした際に近くの者にこれを告げようとしなかつた等の過失があるので、仮に本件水死事故につき被告が責任を負うとしても、過失相殺をすべきである。
と述べた。
原告ら訴訟代理人は、
抗弁事実は否認する。
と述べた。
証拠<省略>
理由
一 請求原因第一項及び第二項の事実については、当事者間に争いがない。
二 成立に争いのない甲第二号証及び同第三号証(但し後記信用しない部分を除く)、証人保泉薫、同石崎文次の各証言を総合すれば、昭和四三年七月二九日午前一一時五分頃から同一五分頃までの間、引率教職員らは、本件臨海学校の同日の第三回目の遊泳訓練を実施し、実施にあたつては、波打際から沖の方へ約一五メートルまでの幅約二五メートルの海中を排他的に使用し、これを深さ約八〇センチメートル(水面が児童らの胸位にくる深さ)のAゾーン、深さ約六〇センチメートル(水面が児童の腰位にくる深さ)のBゾーン、深さ約四〇センチメートル(水面が児童のひざ位にくる深さ)のCゾーンに分け、本件臨海学校実施前に能力測定したところに従い、Aゾーンには約二五メートル以上泳げる児童六四名、Bゾーンには約一〇メートルないし約二五メートル泳げる吉洋ら児童八六名、Cゾーンには全く泳げないか約五メートル位しか泳げない児童三六名を配置し、Aゾーンにおいては一般海水浴客の乱入を防ぐため、又、Cゾーンにおいては児童が水に対して恐怖心を持ち個々的な指導が要請されるため、それぞれ余分な労力を要する結果、児童一人当りの担当引率教職員らの割合はA、Cゾーンに比較してBゾーンが最も少なく、その数はAゾーン五名(但し、後に四名)、Bゾーン四名、Cゾーン四名(但し、後に五名)で、そのほか、砂浜に二名が位置していたものであるが、当時波の高さが四〇ないし五〇センチメートルと多少あつたため、引率教職員らは、Aゾーンにおいては波の中をもぐる練習、Bゾーンにおいては波に乗る練習、Cゾーンにおいては波に顔をつける練習などを行なつて、各ゾーンとも水泳そのものの練習には重点を置かず、したがつて全体的な監視に重きをおき、Bゾーンにおいても、児童一人一人に対する監視を特別にすることをせず、その挙動を終始把握するという方法をとらないまま、右第三回目の遊泳訓練を終了し、サイレンの合図により引率教職員らが笛を吹くなどして児童らを一斉に離水させ、予め指示していたとおり、児童らに、離水後直ちに砂浜の所定の位置に置いてあつた各人の名札を取らせ、予め定められた二人一組の児童相互の間で所在を確認させたところ、吉洋が所在不明であることが判明したため、引率教職員らが直ちに海中に引き返して捜索し、まもなく(離水の数分後)、BゾーンとCゾーンの境付近の海中で意識を失なつている吉洋を発見して救い上げ、医者に連絡するとともにかけつけた地元の警察官らの助けを得て人工呼吸などの応急措置をしたが、医者が到着した時にはすでに手遅れとなつていた事実が認められ、右認定に反する監視したのは三名にすぎない旨の甲第三号証の記載は、前掲証人保泉薫及び同石崎文次の各証言に照らし措信できないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
三 以上認定した事実によれば、引率教職員らは、本件水死事故発生当時、岩井海岸には多少波があつたため、遊泳実施にあつては、これを考慮して危険の発生を防止するのに意を用ちいるべきであつたところ、その人数、海の深さ、泳力、時間、実施した水泳指導等から、監視は全体的把握に重きを置いて、児童一人一人の挙動の把握を特別にはしなかつたため吉洋が溺れたのを誰も発見しないまま離水した点において、教育を担当する引率教職員ら及びこれを使用し本件臨海学校に参画した被告として、遺憾な点があつたことは、否定できない。
しかし、本件水死事故発生当時の状況においては、約一〇メートルないし約二五メートル泳げる小学校五年の児童を、水面が腰付近となる位の深さの所で遊泳訓練する場合に、児童一人一人の挙動を常に監視しなくても、通常直ちには児童の生命身体に危険が発生するおそれはないものと認められ、しかも本件においては、長さ約二五メートル、幅五メートル足らずの範囲内で他校の児童や一般の海水浴客をまじえないで遊泳する八六名の児童を、四名の引率教職員らが全体的に監視して異常の発見に努め(児童数に対する教職員数の割合は、全体的監視を著しく困難ならしめるほど少ないとは認め難い)、遊泳時間を約一〇分間に限り、離水後は早期に児童の所在を確認し万一事故が発生しても直ちに児童を救助しうるよう万全の体制をとり、現にこれを行なつたものであるから、これらの点について、引率教職員らとしては、事故発生防止のために必要な注意義務を尽したというべきであり、本件水死事故発生について引率教職員らに原告ら主張の過失はなかつたと認めるのが相当である。
他に、本件水死事故発生について引率教職員らに過失があつたとする主張及び立証はない。
四 よつて、本件水死事故発生につき引率教職員らに過失があつたことを前提とする原告らの主張は、その余の点について判断するまでもなく失当であり、原告らの被告に対する本訴請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 岡田辰雄 三井哲夫 高野昭夫)